京都を中心に伝承されている地歌の流派で柳川検校(不明〜延宝8[1680])にはじまります。
元禄16(1703)年刊の「松の葉」によれば柳川検校が新しく作曲して改編した組歌の伝承組織は、浅利検校を経て早崎勾当(のち検校)によって伝えられました。その後、深草検校の<十二月新組>と《千代の恵》を加えて<早崎流>とも称し、明和6(1769)年には田中検校による楽譜化が試みられ、寛政5(1793)年には脇坂、堀田、滝永、松井の各勾当によって『五線録』として改訂編集されました。
明治になって古川滝斎が『柳川流本手組大意全書』に編集したものが一門に書写で流布しています。「邦楽百科事典」(音楽之友社)
三味線は古態のままの京三味線に細撥を使用しています。
16世紀の後半に琉球より日本に輸入されたといわれる三味線は最初に手にした琵琶法師がいろいろ工夫・改良して日本の楽器としました。柳川流三味線は京都のすぐれた工芸技術と材料の流通を生かし芸術的楽器を作り上げ、雅びな音色と共に今日に伝えられ、京都當道会は創成より百余年を経てその普及と発展を設立目的として活動しています。
(写真:2004年12月5日 京都会館)