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演奏会

-八橘検校没後330年・生田検校没後300年-記念大演奏会のご報告

ここでは長い間受け継がれてきた京都當道会の所蔵品の一部をご紹介しています。


八はしでら 常光院 住職

梶田 大介

梶田 大介

 南無阿弥陀仏。この度は、八橋検校没後330年を迎えるにあたり京都當道会 有縁のたくさんの方々にご参詣賜り、検校さまの遺徳を偲び報恩感謝の法要が 勤められましたこと、まことに有り難い事でございました。
 八橋検校(法名鏡覺院殿圓應順心大居士)は1685年(貞亨2年)に卒したと され、毎年命日である6 月12 日には当院で八橋忌として法要が営まれ箏曲が奉 納されます。八橋検校は貴族・武士・僧侶などの楽器であった箏を改編して一 流をたて、庶民でも弾けるようにされました。八橋検校が卒した年にヨーロッ パではバッハやヘンデルが生まれています。その時代に日本で素晴らしい音楽 を創造し、箏曲の演奏家であり作曲家が存在したことが高く評価されてしかる べきであると思います。
 記念大演奏会を機に京都當道会のますますのご発展を祈念するとともに、箏 曲(邦楽)が後世まで伝承されていきますよう願うばかりでございます。

合掌

黒谷常光院 ご法要

多寶山實報寺 住職

嘉儀 吉裕

嘉儀 吉裕

 当山と生田検校の縁は300 年以上前の事となります。
信仰心の厚かった生田検校はご両親も本山に埋葬されました。その機会に生田検校は 歴代住職の墓所前に灯明の石柱を寄進され、供養されたところです。
 以後の事として当山には渡辺検校、古川検校、田中きぬ女、萩原正吟師と箏曲界の 重鎮方々の安寧を願って遥拝所が設けられました。
 長年風雪を乗り越えてきました墓所も、鳥辺山の地形から傷み激しく崩壊の恐れあ る事判明し、京都當道会様にご相談いたしました処、この度の一大事業と相成りました。
 今回をもって一応の区切り、完結されました事、誠にご奇特な極みでございます。
 お伺いいたしました限り、当代の箏曲、生田検校にかかわる大勢の方々の取組みで あったとの事、重ね重ね感激いたします。この上は今後共、末永く皆様仏縁にお導き なされまして、芸を続けられます事、お祈りいたします。

合掌

多寶山實報寺 ご法要

京都府知事

山田 啓二

>山田 啓二

 この度は、八橋検校没後330年、そして生田検校没後300年という京都當道 会の記念すべき機会に立ち会えましたこと、大変嬉しく思っております。
 當道会は、鎌倉時代に「平家物語」を語る琵琶法師が形成した座を起源とし て成立したと伝えられており、永い歴史を誇る伝統的な組織であります。
 貴会の運営に携わってこられた皆様方におかれましては、日頃より日本の伝 統音楽の普及、継承及び発展に向けた取り組みに御尽力いただいているところ であり、厚く御礼を申し上げるとともに、心より敬意を表する次第です。長年 心を込めて大切に積み上げられたこの歩みが、次の世代へ受け継がれていくこ とを切に願っているところでございます。
 この度開かれます「八橋検校没後330 年・生田検校没後300 年 記念大演奏会」 におかれましても、その伝統を喜び祝うために全国から参集されました皆様方 の、日頃から修練を重ねられ、磨きあげられた音楽が御披露されますとともに、 京都の伝統音楽界のたゆみない御努力が、京都から日本、そして世界へと発信 され、伝統から未来へと受け継がれる素晴らしい機会となりますことを、御期 待申し上げます。
 千年の都、京都には、数多くの伝統文化が脈々と受け継がれた歴史がござい ます。私たちは、これからの時代をしっかりと見据えながら、人を大切にし、 共に助け合い支え合う地域を育むとともに、様々な文化芸術が輝く京都から、 日本全体を文化の力で元気づけ、さらなる一歩を進めていくことが重要と考え ておりますので、今後ともより一層の御支援、御協力をお願い申し上げます。
 結びにあたり、京都當道会の皆様の御健勝と今後ますますの御発展を心から 祈念いたしまして、私のお祝いの言葉といたします。


京都市長

門川 大作

>門川 大作

「心の琴線に触れる」。
 この演奏会の素晴らしさを一言で言い表すのに、これほどふさわしい言葉は ない...。趣深い伝統の弦の響きに、御来場の皆様はきっとそう実感されること でしょう。
 筝曲の始祖と言われる八橋検校の没後330年、生田流筝曲の開祖である生田 検校の没後300年を記念する大演奏会が、盛大に開催されますことを心からお 慶び申し上げます。
 開催に御尽力されました京都當道会の皆様は、長年にわたり、筝曲や地歌の 継承と普及に力を注いでおられます。鬼追明夫会長をはじめ貴会の皆様の、た ゆまぬ御努力と御熱意に深く敬意を表します。
 本市といたしましても、市民の皆様と共に、京都の文化芸術の魅力を更に磨 き上げ、「世界の文化首都」への飛躍を目指してまいります。引き続き、皆様 の御支援、御協力をお願い申し上げます。
 結びに、本大演奏会の御成功、並びに京都當道会のますますの御発展を心か ら祈念いたします。


前 公益財団法人 京都市芸術文化協会 理事長
国際日本文化研究センター 名誉教授

村井 康彦

>村井 康彦

 箏曲の創生や普及に大きな足跡を残した八橋検校(1614~1685)とその孫弟子に 当る生田検校(1656~1715)、この両検校を追善し顕彰する大演奏会が、京都當道 会主催で流派をこえて開かれることは空前の盛儀であり、まことに意義深いことと 存じます。実現に向けて尽力された関係者の方々に敬意を表します。これより先、 當道会では両検校の墓所を整備されたこと、当日は當道の守護神として伝えられた 「日吉山王垂迹神曼荼羅図」「日吉山王本地仏曼荼羅図」(いずれも京都府指定文化財、 鎌倉後期、府内最古の曼荼羅図)も写真で展示されることを記しておきたいと思います。
 ところで私がいつも言葉の意味をかみしめたいと思っているのが、他ならぬ「當 道」の諺です。伝えによれば若くして失明した人康(さねやす)親王(仁明天皇の 第四皇子 831~872)が目の不自由な人たちに管絃を勧め、その人たちを「是れ我 が道に当る」と呼んだというのが起こりですが、その意味するところは、「これが 私の歩むべき道そのものだ」「私の生甲斐だ」というものでしょう。親王の目の不 自由な人たちにかけた思いの深さがしのばれます。
 目の不自由な人たちの組織である當道座の特徴は、當道職屋敷を拠点とする自治 組織で運営されていたことにあり、徳川幕府も盲人保護政策の一環としてこれを認 めていましたが、明治4 年(1871)、明治政府によって盲官制度が廃止され、目の 不自由な人たちは一挙に生活基盤を失い、困窮を余儀なくされてしまいます。當道 の歴史上最大の危機でした。當道会にはその危機を切り抜けるために努力した人た ちの足跡を示す資料が数々残されています。たとえば大正年間のことですが、神阪 雪佳・上村松園など市内在住の画家42人に呼びかけて画の寄付を仰ぎ、これを売 却して換金しています。内務省や宮内省、おくれて京都府から一定の金額が毎年下 賜されたことも知られます。篤志家の寄附も少なくありませんでした。
 こうして苦難を乗り越え、現在では當道会館が整備され、健常者をふくめた當道 会の人々の活動を見るにつけ、両検校の偉業がいまに受けつがれていることが実感 され、喜ばしい限りです。
 今回の大演奏会を機に、當道会のさらなる発展を願っています。


一般社団法人 京都當道会 会長

鬼追 明夫

>鬼追 明夫

 嵯峨天皇以前に漢土より傳はり、雅楽にもちいられしが轉じて筑紫箏となり、寛文年間に八橋検校が古典の神韻に創意の濶飾を加え組歌を作り・・・云々箏曲界の恩人八橋検校は幾多の名曲を物せられ偉大なる功績を遺して没せられる処、先年洛東黒谷山内墓地にその墓石を発見、法要を営み来り本年を以て250年遠忌に相当するに就き有志相恊り資金を募めて墓所の改修其他の工事を進め、今般滞りなく竣成するを得たり。
       (八橋検校二百五十年遠忌趣意書・・・1934 年)

 この資料より75年の歳月が経った平成21年、伝承上八橋検校に続いて名前のあがる生田検校の墓碑が近年傷み激しく、崩壊の恐れのあることが判明しました。墓所の改修工事を広く皆様にご案内させていただき、ご賛同を得てご協力のもと改修工事に着工、平成23 年6月に完工いたしました。
 この上は、両検校の由縁の地、京都に於て地歌・箏曲など伝統的な日本音楽の伝承、普及及び育成を目標にし、ご理解、ご協力を得ました関係各位と共に一層積み重ね発展させて参る所存でございます。
 改めてここにご厚情、ご指導、ご鞭撻、ご協力いただきました各位をご紹介させていただき今後共のご支援ご協力をお願いいたしますと共に厚く御礼申し上げます。


生田流協会 会長

米川 文子

>米川  文子

 この度の「記念大演奏会」の前日に、八橋検校は黒谷常光院、生田検校は多寶山實 報寺に於きまして、御丁寧なるご法要が営まれ、時を越えて今尚日本の誇る名曲の数々、 その偉業に思いをはせ、感慨も一入でございました。
 又、「記念大演奏会」の折には、地元京都當道会の皆様を始めそれぞれの演目に、東 京より参じました私どもの5 曲を加えて全14 曲のプログラムとなりました。
 終始満席のお客様の拍手に、三百年を越える日本の伝統が今日までつながっている ことの喜びを深く感じました。余談ではございますが、昭和41年に八橋検校顕彰碑を 日本三曲協会が東京上野に建立して以来、毎年法要と奉納演奏を行っております。
 この度の演奏会に至るまでの皆様方のお骨祈り、そして今日までのご尽力はいかば かりかと拝察いたしまして、流祖の偉業を守り伝えていくことが、私どもの使命と心 新たにし、これからも、西東と垣根を作ることなく手をとりあって歩ませて頂きたく お願い申し上げます。
                 平成25 年6 月(陽炎長夏)

-八橘検校没後330年・生田検校没後300年-記念大演奏会のご報告